油 彩 作 品


(この画面に10点まで。1点ずつ順次入れ替え。画像クリックで拡大。)


021

卒業(油彩、P12)

 姪の娘、芸大音楽科。幼時に見たままごぶさた、ほとんど一瞬にしてこのご令嬢姿に。スナップ写真一枚を選んで絵にしたものです。頼まれてさあどう描いたものか。写真のように緻密に描いては写真そのまま、といって筆遣いあらわな躍動感に走っては雑と思われる。できればその人を見た印象から始めたいところ。数か月後に加筆の含みで作品を渡しました。ルノワールの美少女「エレーヌ」は依頼者に引き取りを拒否されたそうです。曰く、「筆遣いが荒い」。これは反対にマジメ傾向です。


022

きっとまた来る(油彩、F8)

 東京国立博物館で五重塔の模型を見上げていて、いつしかそのまま奈良へ。20代半ばのことだった。牽引の綱になった法隆寺から引き返した奈良市中の興福寺で、寂静の思いを経験した。一見したところ塔が一つお堂が二つだけの辺り一帯だった。昔はなあ、という声が聞こえてきそう。あれから半世紀近く、南都の寺々に復興の槌音が響いて久しい。すると勝手なもので、寂しかったあの境内が良かったと感じられてくる。興福寺で昔から変わらない中金堂の壁の前、旅姿の才女に立ってもらった。今は定年過ぎの人。


023

小春(油彩、F12)

 幼児の無心というのはおそろしいくらいのもので、世の中の真実とは他ならぬこれだろうといつも思います。赤んぼちゃんにじい~っと顔を見つめられていると、人生の先輩とはあちらではないかと畏れてしまうのです。笑ってくれるとかわいいけれど、だからベロベロバーなどと馴れ馴れしい態度はとれません。心の中いっぱいがただ平和でハッピーになるだけです。小春は小春日和のこと。寒いのに少し温かくてしあわせ。無欲でうれしいことが時々あるものです。


024

パルテノン(油彩、P30)

  NHKのテレビ番組によれば、大理石によるギリシャの建築や彫刻は着彩されていたとのこと。そのようなものを自分の国に持ち帰ったヨーロッパ列強の人々が、大理石はかくあるべしとして色をぬぐい去ったのだという。パルテノン神殿破風彫刻の色の残りのようなもの、ミケランジェロ「モーセ」の膝の黄変部分などは、人の手による脱色や漂白の試みの不本意な結果ということか。何がどうしてどうなったかは、人が長い目で見ているしかない。この人は何を思って彫刻を見詰めていただろう。


025

再訪Ⅱ(油彩、F10)

 函館のハリストス正教会の敷地は一回り数分。小さな聖堂はいつも目の前にそびえ立って大きく、遠くからそれを見つめることはありません。といっても白壁の一棟以外に建物は目立たず、海を見下ろす芝生の側に回れば空の下は思いのほか広いのです。気づくと、天は青、地は緑、人の作ったものは白。エーゲ海の風光に限らず、これが一宇というものかもしれない。この構図は海の反対、狭い山側からのものです。短い道の向こうが遠くに感じられる初夏の午後でした。


026

仕事場の隅(油彩、F10)

 余命あと半年かという遠方の友人にメール、「家のミカンがまた生った。気持ちだけ送る」。楽しみにしている旨返信があった。そうか、「気持ち」にはほんのちょっとだけという意味合いもあったのだっけ。心の問題だと言い直すのをやめにし、良さそうなところを7つ箱に詰めて送った。甘くもないけど酸っぱさが本来の自然。送るときに本当にそう思った。「みずみずしい、旨い」とは正直かお世辞か。間もなく友人は他界。4年経った今も悲しいけれど、言葉の行き違いをしばらく楽しめたことが 懐かしい。


027

フィレンツェの路地(油彩、F20)

 ヨーロッパのこれという観光地は街も建物も立派。立派のあまり、こんなのあり得ないという国からそういう所へ行く気が白け飛んでしまうほどです。ところが、イタリアでは「日本はきれいな国」と口々に賞賛されるのです。なるほど、日本では一面落書きだらけの建物を見ることがない。白い壁や塀が白いままでいられる。重厚壮麗が世間の雑然で覆われる街と、安普請が風にも飛ばず清楚淡麗を保つ街、どちらがいい? 壁を見つめて考え込みました。自転車の主は戸口から出て来ませんでした。


028

通り雨(油彩F12)

 小樽堺町の「大正硝子」。コロナ禍に対してある種の要領を心得るようになった今も小樽は遠い。2年と少し、自分も周囲の人も感染しなかったのは予防接種のおかげか、それとも、いずれにせよ感染しない自分たちだったのか。こんなことを考えているうちに、時々行くのが当たり前だった小樽は何だか思い出の地のようになってしまった。10年前に描いた作品の右端は自画像のつもり。人物が奥へ行くにつれて記憶がおぼろげになっていく。そろそろ行こうかな。周りはあまり変わっていないだろう。


029

詩想(油彩、P20)

 詩は考えて書くものか、それとも、思いつくまでのんびり待つか。どちらとも思えないのです。考えれば既製品のまねになる。待つ神経からはそもそも鮮烈なものが生まれてこない。ある時ひらめくものへの即応が詩人の日常なのではないか。それが詩人の目つきを常人のそれと違うものにする。詩を書くには一片の紙とペン1本があればいい。あるいは両方とも要らない。詩は芸術全般の根底と思われてなりません。道具立てがおおげさなほど詩性からは遠ざかる。さて、絵画はどれくらい芸術的?


030

ブルネット(油彩、F4)

 イタリア旅行でのスナップから。モデルを目の前にして人物を描くことはあまりありません。食事で同席だった人や街角風景の中にいた人など。どういう画面に収まってもらおうかと考えながら描いているうちに日月が経ち、イメージの最も引かれる部分が浮き出てくる。相手が世界唯一の顔をもっている以上、ピカソ顔にすることは難しい。写真そのままになることをおそれながら人を思い描くのです。美術館で作品の前にいた人。おとなの無心な視線が印象的でした。